第 6 回 町と共に歩む、新しいセンターを目指して

大竹センター長
国際沿岸海洋研究センター センター長:大竹 二雄

東京大学大気海洋研究所
国際沿岸海洋研究センター / センター長、沿岸保全分野 / 教授

研究分野:海洋生物学

国際沿岸海洋研究センターページ:
http://www.icrc.aori.u-tokyo.ac.jp/index.html
 

▼ 全国・世界における沿岸海洋研究プラットホーム
▼ 震災後も遡上したアユ。長い産卵期のわけは……?
▼ 「まずセンターに明かりをともせ」
▼ 調査研究の再開とプロジェクトのスタートまで
▼ 「国際海洋研究都市・おおつち」――町と連携し、次世代の育成をめざす
▼ 地域と世界に開かれた沿岸センター

全国・世界における沿岸海洋研究プラットホーム

メーユ
今回は、2005 年 4 月から 2008 年 3 月まで、また 2010 年 4 月から2014年 3 月まで、岩手県大槌町の「国際沿岸海洋研究センター(以下:沿岸センター)」でセンター長を務めています大竹二雄センター長に、沿岸センターのことを中心にお話しを聞きたいと思います。さっそくですが、あわせて 7 年間もの任務を終えて、3 月末で東京大学の本郷キャンパスへ異動だと聞きましたが……。
大竹先生
農学生命科学研究科の水産資源学講座へ異動します。センター長は所長指名で 2 年の任期なのですよ。もちろんこれからも大槌でアユの生態についての研究をしていきますし、東北マリンサイエンス拠点形成事業・プロジェグランメーユの参画者として課題を続行していきます。今後も喜んで協力していきますよ。
にっこりメーユ
……よかった! ではまず沿岸センターについて聞かせてください。沿岸センターは 1973 年に「大槌臨海研究センター」として設置され、 2003 年には「国際沿岸海洋研究センター」と改組されていますね。どのような役目を持った研究施設で、これまでどのような研究が展開されてきたのですか?
大竹先生
もともとは、全国の沿岸海洋研究のプラットホーム、「拠点」となるべく、共同利用・共同研究施設として設立されました。主に三陸沿岸域の物理・化学環境、生物の生活史や行動などの研究がおこなわれています。また、大槌町をはじめ三陸沿岸域は養殖が盛んな地域でもあるので、沿岸域や内湾域の海水の動きや、カキ・ホタテ・ワカメなどの養殖生物を含む “生物過程における物質の流れ” をモデルで表し、その中で適正な養殖密度を計算するというような研究も行われました。

改組される前の大槌臨海研究センターで、宮崎信之名誉教授がセンター長だった頃には、沿岸の環境汚染の研究が活発に行われました。イルカやクジラなどの海産哺乳類、魚類や貝類などの海洋生物による、PCB *注)や有機スズの蓄積に関する研究ですが、 1999 年から 2003 年に岩手県・国連大学・東京大学海洋研究所の 3 機関により実施された「海洋環境国際共同研究プロジェクト」では、その研究拠点となりました。そしてそのような活動が認められて現在の国際沿岸海洋研究センターに拡大改組されたのです。

沿岸センターは全国共同利用研究施設で、震災前は年間 60~70 課題、のべ 4000 人日程の研究者の方々が沿岸センターを利用して研究活動を行っていました。 震災後の昨年は約 1500 人日の方々が利用されました。
  
*注) PCB : ポリ塩化ビフェニル。1960 年代から 70 年代にかけて工業製品に使われた有害物質。高度成長期には PCB 等の物質が川や海にたれ流しにされ、深刻な公害問題が起きた。

大槌湾と沿岸センター

【 写真:沿岸センターは大槌湾に臨み、「ひょうたん島」の愛称の「蓬莱島」が目前にある(震災前に撮影)】
考えるメーユ
「共同利用共同研究」の主な課題として、○沿岸域の生態系モデルの構築と環境収容力の推定 ○藻場の環境と生産力 ○岩礁藻場の生態系構造とその動態 ○沿岸性魚類の回遊生態と生活史 ○データロガーを用いた魚類、ウミガメ、海鳥の行動生態 ○脊索動物の発生プログラム と資料にありますが、どういったことなのでしょう?
大竹先生
そうですね。沿岸域や藻場の生産力がどの程度の生物生産を支えることができるか、これを「環境収容力」といいますが、それを先ほどお話ししたようなモデルを構築して明らかにする、また岩礁域の生態系がどのような生物で構成され、どのように変化していくか、などの研究、そして海洋生物の生活史や行動、発生に関する研究が主な研究課題でした。生物の行動研究は、佐藤克文教授を中心にデータロガーを活用した研究、いわゆるバイオロギング研究が盛んに行われています。    
ここにある課題のひとつ、「沿岸性魚類の回遊生態と生活史」というのは私の課題です。

震災後も遡上したアユ。長い産卵期のわけは……?

メーユ
センター長の専門はアユ・ウナギ・サケなどですよね。プロジェグランメーユの中では、研究テーマ 2 「地震・津波による生態系攪乱とその後の回復過程に関する研究」に参画していますが、プロジェクトの中でのセンター長の研究課題というと?

研究テーマ 2 :研究者に聞く 第 3 回「生態系はどのように回復していくのか」河村 知彦 教授 もご覧下さい。  
大竹先生
一生のうちに海と川の間を行ったり来たりして生活する魚を「通し回遊魚」といいます。それらがどのように成長し、また成長にともないどのように生活の場を変化させていくのか、資源変動のメカニズムはどうなっているかといったこと……、三陸沿岸域では以前からアユの生活史について研究していましたが、震災後は三陸沿岸域のアユ資源が津波によりどのような影響を受けたか、またその影響からどのように回復、あるいは変化していくのか、ということを調べています。
考えるメーユ
アユの生活史……?
大竹先生
アユは、秋から冬に川で産卵し、孵化するとすぐに海に降りて行って、冬は海で生活する魚です。春から初夏に河口に集まり川を遡上して、秋にはまた卵を産むと死んでしまう一年魚ですが、震災のあった 3 月はちょうどアユ稚魚が河川遡上に備えて河口域に集まる時期なので、震災後は無事に母川に遡上してくるか大変心配されました。しかし鵜住居川で調査を行った結果、震災後もちゃんと戻ってきたのですよ。

アユの生活史

【図1 アユの生活史】
びっくりメーユ
すごい!河口域もあんなに被害を受けたのに……数は減っていないのですか?
大竹先生
アユの遡上量というのは年によっても変動があるのですが、津波の影響で遡上量が目立って減った感じはありませんでした。これにはアユの産卵期が長いことが関係していることがわかってきました。調べてみると、この年は例年遡上の中心だった早生まれのアユは津波の影響で壊滅したものの、遅生まれのアユが生き残って遡上したことがわかってきたのです。
考えるメーユ
遅生まれのアユ……?
大竹先生
アユの産卵期は 9 ~12 月と長いのですよ。ひとつの魚が長い間卵を産むのではなく、個体によって産卵する時期が違うのです。例年ですと三陸のアユは、 9 ~10 月頃の早生まれが遡上の中心です。四国など南の地域ではピークが違って、 11~12 月の遅生まれが生き残って遡上してきます。    
これは海での成長期の水温に関係があります。アユの稚魚は 22 度を超えた高温にさらされると成長できずに死んでしまいますし、また低温でもダメなのですね。ですからアユの場合、冬の海水温の影響で、産卵のピークと遡上魚が誕生したピークが必ずしも一致しないということになるのです。
にっこりメーユ
南のアユはまだ海水温が高い 9 ~10 月に海に降りる早生まれは生き残れないけれど、北のアユは海水温が下がってしまう 11~12 月生まれの生き残りが悪くて、早く生まれたものたちが成長して春に河川を遡上する主群を形成するというわけですね?
大竹先生
そうですね。例年はそうなのですが、 2011 年の震災の年では、遡上に備えて河口に集まっていた早生まれのアユが津波の影響をまともに受けたものの、2011 年 3 月の時点で、まだ河口から離れたところや沖合にいた遅生まれのものが生き残って、遡上したと考えられます。魚類などの脊椎動物には「耳石」といって、主に炭酸カルシウムでできた硬い粒が内耳にありますが、耳石には木の年輪のように、一日ごとに一本ずつ刻まれる同心円状の輪紋が見られるのですよ。その輪紋を数えることで生まれてからの日数(日齢といいます)が判り、採集日から日齢を減ずることで孵化した日、誕生日がわかるのです。さらに耳石に蓄積された微量元素を輪紋と対比しながら解析することで、回遊の履歴を把握することができます。
アユはこうした大津波や冷害、また水温が高温になるなど、様々な環境変化にも生き残って種を存続させることができるように、こうした長い産卵期を保持しているのかもしれません。
アユの耳石 輪紋 投網

【 写真左:アユの耳石 / 中央:アユの耳石に見られる輪紋 / 右:投網によるアユの採集(鵜住居川) 】
メーユ
産卵期を長くすることで子孫を維持して“リスク対応”してきたと考えられるのですね! ……ところでサケは戻ってきていますか? 大槌では「鮭祭り」というお祭りもあるし、サケが名産品でもありますよね。メーユは新巻き鮭が大好物です!
大竹先生
「南部鼻曲がり鮭」の発祥の地ともいいますね。じつはサケが川の匂いを頼りに生まれた川に帰ってくるということがはじめて科学的に実証されたのも大槌町なのです。     
サケは川で生まれてから海を回遊して母川に遡上してくるまでに 3 ~ 4 年かかるので、震災後に生まれたサケのことがわかるのはこれからですね。ただ震災直後の 2011 年は、放流するサケを飼育する孵化場も、ほとんど河川の下流域にあって津波で壊れ、稚魚の多くが流されてしまったため、放流数が例年の 6 割程度だったと推定されています。
困ったメーユ
町の人たちも震災後にサケが無事遡上してくるか、心配していますよね。
大竹先生
淡水で生まれたサケは海へ下る前、体表に「グアニン」が沈着し生理的にも海に適応できる体になります。「銀化(ぎんけ)」というのですが、震災の年はまだ銀化が始まっていない稚魚も流されましたからね……。
2012 年以降は例年通り放流しているため、それらの回帰率もこれからわかってきます。
考えるメーユ
数年間は地震と津波の影響があるかもしれませんね。でもサケも今まで以上に帰ってきてくれるといいなあ……。

大竹センター長の研究内容については、以下も合わせてご覧ください。
生眼科学ネットワークインタビュー「耳石を通して魚の回遊を探る」


「まずセンターに明かりをともせ」

メーユ
2011 年 3 月 11 日の大地震と津波では、沿岸センターも大変な被害を受けましたよね。大竹センター長は震災当日も沿岸センターにいて、学生たちや職員との避難・安否確認に始まり、その後の復興を指揮してきました。そして震災から丸三年を迎えようとしています。言葉に尽くせるものではないと思いますが、沿岸センターはどのような被害状況だったか、そこからどのように復興に向けて取り組んできたかおしえて下さい。
大竹先生
当日の地震発生時には、学生・スタッフ合わせて16名がセンターにいました。共同利用も年度末で少ない時期でしたし、佐藤克文教授の研究室では学生も含めて皆さん国際学会に出席していて、沿岸センターにいる人間の数が少なかったことが幸いしました。また、この日の午後は調査船による観測もなく、海に調査に出ている人もたまたまいなかったことも幸いでした。おかげで人的被害は免れました。
メーユ
……人的被害がなかったのは本当によかった。スムーズに避難できたのですか?
大竹先生
大槌町では例年 3 月 3 日の「昭和三陸津波」の日に避難訓練を行っており、たまたまその年に船舶職員と事務室職員が訓練に参加していたのです。ちょうどセンターが属している赤浜三丁目の避難場所が新たに設置され、そこに至る道路が整備されていました。防災無線の大津波警報を聞くこともできたので、新しい避難場所*注)にみんなで逃げることができました。
    
*注)元の避難場所は赤浜小学校体育館。海抜 7 メートル。赤浜小体育館も津波の被害を受けました。
メーユ
津波の高さは 12.2 m、研究棟の 3 階窓付近まで水没したと聞いています。建物への被害は……?
沿岸センター20110311 沿岸センター20110315

【 写真左:2011 年 3 月 11 日 津波に襲われる沿岸センター / 写真右:同 15 日 海側から撮影したセンター 】
大竹先生
研究棟と共同利用研究員宿舎、ポンプ棟など、コンクリート造りの建物はかろうじて残りましたが、防潮堤も崩壊し、倉庫や水槽などは全壊でした。「弥生」をはじめ 3 隻の調査船や観測機器類も流失し、分析機器も全て水没しました。  3 階にあった RI 実験室 *注)の被害は軽微で RI の流失がなかったことは本当に助かりました。 *注)RI:radio isotope 放射性同位元素
  沿岸センター平面図 

【 図 2:津波襲来後の沿岸センター内部の様子(1 階・2 階部分)】

総長とセンター長

【 写真:東京大学の濱田総長(人物右)による視察。人物左は大竹センター長 】
メーユ
写真で見ても、ものすごい状態……。よくここを片付けましたよね……。
大竹先生
震災当日から災害対策本部が設置されましたが、 4 月 11 日には「東京大学災害救援・復興支援室」が設置され、東京大学としても「まずセンターに明かりをともせ」を合言葉に、復興にとりくみました。
びっくりメーユ
「まずセンターに明かりをともせ」……。
大竹先生
 5 月 2 日から、大槌町中央公民館の一部屋を借りることができて「沿岸センター復興準備室」を設置しました。また 5 月 20 日から 10 日間かけて東京大学救援・復興支援室の支援により東京の業者 *注)に来てもらい、研究棟と敷地内の瓦礫をいっきに片づけてもらいました。同時に地元の業者にも仮設住宅建設で忙しい時にもかかわらず、無理を言ってお願いして、電気・ガス・水道を引いていただき、それで現在とほぼ同じ、3 階だけは使える状態にまで整ったのです。
  
*注) この時は 13 名の作業員が宿泊する場所の確保に苦労。連泊できるホテルもなく、遠野・花巻・北上・盛岡などのホテルを毎日転々と変えながら、連日大槌へ通って頂いた。


調査研究の再開とプロジェクトのスタートまで

メーユ
沿岸センターの 3 階部分が使えるようになって、調査も再開できたのですか?
大竹先生
そうですね。赤浜地区には 4 隻の漁船が残っていましたが、その内の一隻「妙法丸」を調査のために傭船することができました。第一回(2011 年 5 月 25-28 日)の調査は永田俊教授・津田敦教授による水質とプランクトン、底泥の調査でしたが、漁師さんたちが私たちの研究の重要性をよく理解してくださっており、惜しまずに協力してくださったことは、本当にありがたかったですね。
にっこりメーユ
 8 月 22 日には造船された調査船「グランメーユ」の進水式も行われていますよね!
大竹先生
「グランメーユ」は有限会社須賀ケミカル産業の震災後建造第 1 船です。自らも被災しながら、記念すべき最初の船を沿岸センターのために提供してくれたのですよ。
 大槌湾環境調査201105 調査船グランメーユ

【 写真左:2011 年 5 月 第 1 回 大槌湾環境調査 / 右:調査船 グランメーユ 】
にっこりメーユ
グランメーユは フランス語で “Grand maillet” , 「大きな槌」の意味でしょう?
大竹先生
はい。私たちのプロジェクトのチーム愛称にもなっていますね。それから毎年 5 月に行われている新領域創成科学研究科の海洋環境臨海実習も、この年は 10 月に行われました。岩手県水産技術センターが協力して下さり、「北上丸」による底魚調査に実習学生たちを乗船させて下さいました。共同利用研究も 8 月にあらためて募集し直し、結局 20 課題が採択され実施されることになりました。採択された研究の多くは、東北マリンサイエンス拠点形成事業の重要課題になっています。
メーユ
なるほど! 今までのお話しが震災発生から一年のことですね。二年目、三年目は……。
大竹先生
設備を整えつつ、東北マリンサイエンス拠点形成事業の拠点として、研究を推進してきました。研究棟の 3 階は大分整備が進みました。飼育設備については、船舶のスタッフたちが工夫して、くみ上げポンプで海水を直接敷地まで引いて、屋外コンクリート水槽を 5 面使用できるようにしてくれました。泥の詰まった排水管を清掃するなど大変な苦労だったと思います。
  屋外水槽

【 写真:屋外実験水槽 くみ上げポンプで海水を供給 】
考えるメーユ
海水導入というのは……あの沿岸センターの目の前の大槌湾から、直接水を引っ張ってくるということですか?
大竹先生
そのとおりです。あのように目の前が海で、きれいな海水を引いてこられる場所にあるというのは、海洋研究をする上でとても貴重なのですよ。

「国際海洋研究都市・おおつち」――町と連携し、次世代の育成をめざす

メーユ
現在の沿岸センターがある大槌町の赤浜地区に再建が予定されていますが、どういった状況なのですか?
大竹先生
岩手県の多くの自治体と同様に、大槌町でもほとんどの地区で、防潮堤をこれまでの 6 m から 14.5 m にかさ上げする計画で建設が進められていますが、赤浜地区は独自の方針を立てています。漁業者が多いことや、ひょうたん島(蓬莱島)もあるため、地区の人たちも「巨大な防潮堤はいらない、眺望を守りたい」と考えたのですね。赤浜地区ではこれまで通り防潮堤は 6 m で再建し、その代わり住宅は 14.5 m 以上にかさ上げした土地に建てると決めました。   
沿岸センターも今までよりもう少し山側の安全な場所へ移動する予定です。もっとも宅地はただでさえ足りないので、沿岸センターまで宅地に作らせてもらうわけにはいきません。そこで住宅地としてかさ上げする土地の法面を利用して建設し、玄関はじめ研究者の居室などはいずれも 14.5 m 以上のところに配置するよう計画しています。
新センターの土地

【 図 3:新設される予定のセンターの立地 】
にっこりメーユ
外に出ればすぐに安全な場所へ出られるということですね。
大竹先生
そうですね。宿舎は宅地と同じように 14.5 m の場所に作る予定です。地域の方たちも「どういう研究が行われていて、どんな成果が得られているのか知りたい」と望んでいます。住宅地に近い場所に再建する理由のひとつは、今まで以上に地域に開かれた、また地域の方たちと交流しやすいセンターを作るということでもありますね。
メーユ
大槌町における沿岸センターの存在意義や、町との連携はとても大切ですよね。
大竹先生
大槌町では復興に向けた重点プロジェクトに、「国際海洋研究都市・おおつち」を挙げ、海洋研究都市としての復興を考えています。岩手県としても、温泉地などがある内陸に比べて、三陸沿岸は何を観光資源にすればよいかということが、震災前から検討されており、三陸といえば豊かな海と水産物ですが、それと共に「国際沿岸海洋研究センター」という研究施設があることを、「観光資源」のひとつとしていこうという計画を持っていました。沿岸センターが単に研究施設というだけでなく、そのような役割を担うことで三陸地域の復興に寄与していくということも、これからは考えていかなければならないと思います。
メーユ
これまでの沿岸センターと町の人々とは、どのような交流があったのですか?
大竹先生
沿岸センターでは毎年「海の日」に一般公開を開催し、公開講座や出前授業を行なってきました。海が身近にある地域で暮らしている大槌の子どもたちも、案外海のことを知らなかったりするのですね。今はなかなか海や川で遊ばないようになっているのでしょう。一般公開では「タッチプール」という、海の生き物を直接触れるプールを用意してきましたが、そこで「初めて海の生き物に触った」という子も多くいるのですよ。
沿岸センター一般公開2010 公開講座2013

【 写真左:沿岸センター一般公開 2010. 7. 19 / 右:市民公開講座「大槌の海は今 !? 」2013. 10. 12 】

考えるメーユ
そういう意味では都会の子とあまり変わらないのかな。興味のある子は海の生き物のことをとてもよく知っていたり、中にはずいぶん物知りな子がいるけど……。
大竹先生
だいたい、子どもの頃から海のことって学校で習わないですよね。小中学校の理科の時間に「海」なんて単元もないでしょう。なかなか海に興味を持つチャンスがないというのが現実です。
ところが先月、大槌町出身で北海道大学の水産学研究科を卒業して岩手県庁に就職し、現在宮古にある水産振興センターで働いているという人に会ったんです。聞くと小学校の事、沿岸センターの一般公開や講演会、夏休みの自由研究などでセンターに何度も来て話を聞いたりしたとのこと。沿岸センターのイベントなどで海のことや水産に興味を持つようになり水産系の大学に進学したとのことで、それはとても嬉しいことでした。
にっこりメーユ
沿岸センターで行ってきた研究はもちろん、催しなども成果があったのですね!
大竹先生
子どもたちに海への興味を持ってもらうきっかけを与え、海と彼らをつなぐ、私たちの重要な役割はそういったことにもあると思いますね。沿岸センターと町の交流を広げ、深めることで、一人でも海洋に興味を持ってくれる子どもたちが増えることを願います。

地域と世界に開かれた沿岸センター

メーユ
では沿岸センターとしての今後の課題・展望はどういったことでしょう?
大竹先生
今はまず、一日も早く復興を進めて研究環境を整えることですね。そして、東北マリンサイエンス拠点形成事業の拠点として機能させ、プロジェクトを進めていくこと。また、共同利用研究施設としての役割を推進していくことです。地域のニーズを常に意識しながら、世界トップレベルの研究を推進していきます。
メーユ
最後に、大槌町や市民の皆さんへのメッセージはありませんか?
大竹先生
町の人たちは本当に、沿岸センターとセンターの人間を大事にしてくださいました。そのベースには当然 40 年に渡って先輩方が築いてこられた良好な関係というのもあると思います。特に震災の時は、役場も地域の人たちも、避難所でもとても親切にしてくださいました。例えば学生達を盛岡に移動させる時には、ガソリンや食料の調達のために避難所から盛岡に向けて出る自動車に快く同乗させてくれました。本当に感謝しています。
震災直後に役場の人たちなどからまず聞かれたことは、「沿岸センターは出て行ってしまうのですか?」という言葉です。そして「大槌で再建する」という言葉に彼らが見せたホッとした表情を忘れることはできません。    
最後に、これは沿岸センターに残るスタッフたちへのメッセージだけれども、過去にとらわれずに新しい感覚で新センターを作っていってほしいと思います。もちろん、町の人々との関係を大事にしながら、町と一緒に歩んでいけるセンターとなることを願っています。

* 学内広報 1450 号「ひょうたん島通信」第 18 回 も合わせてご覧ください。
「大震災 3 年目を迎えて」大竹二雄 センター長 
が執筆しています。



インタビューを終えて

大竹先生
震災前後に渡って国際沿岸海洋研究センターのセンター長を務めた大竹センター長は、大槌町と沿岸センターを繋ぐキーマンのような存在でした。これまでの町の様子、人々との交流、沿岸センターの歩み、沿岸センターを拠点として研究者がとりくむさまざまな課題。このインタビューの中では語りきれない出来事や、自身の思いがあったと思います。震災後も大槌町に沿岸センターが残ることを町の人々も喜んでくださっていると感じながら、センター長も町を大切に思い、共に復興に力を尽くしてきたことが伝わってきました。
大槌町ではテニスサークルに入って毎週日曜にテニスをしていたというセンター長。大槌町・釜石市の地元の人と北里大学などの大学関係者などがメンバーで、秋は合宿もあり「また合宿があったら参加したい」という話です。大槌のコートでもテニスをしている姿が見られるかもしれません。

取材日: 2014 年 2 月 21 日 (構成 / イラスト: 渡部寿賀子)

【番外編】センター長の一日

「大槌にいる時のセンター長の 1 日は、どんな様子なのですか?」とたずねたら、「私の 1 日? 単純ですよ。」と照れくさそうにおしえてくれました。

センター長の 1日