第 2 回 海の中のデータを集める ワカメとカキ,適した環境はなぜ違うのか?
研究テーマ 1 代表 : 津田 敦
東京大学大気海洋研究所 浮遊生物分野 教授
研究分野: 生物海洋学 (動物プランクトン,物質循環)
モデル構築にとって大切な要素
-水温・塩分・流れ・栄養塩・クロロフィル・溶存酸素-
津田班の研究テーマは「沿岸広域連続モニタリングシステムと海洋分析センターの構築」とありますが,これはどういったことなのでしょう?
今回の地震と津波が起きたことで,最初はきっと,海の中の生物も変わるだろうと予測しました。そして,大気海洋研究所としてはどうしたらいいか,何ができるのかと考えました。海洋環境を調べて漁業の復興に何らかの形で関わることが,われわれが目指すテーマだと思いました。その中でもいちばん貢献できるだろうと考えたのが「モデル構築」。つまり「今年は海の中はどうなる?」という再現モデルを作って示すことです。
ただ,数値モデルが合っているかどうかを確かめるには,たくさんのデータが必要です。そのたくさんのデータをとってくることが,私の班の目標です。そして実際の海のデータと作り上げたモデルが合っているかどうかを,モデリング班(第1回に登場した田中准教授が代表の班)とすり合わせて再現モデルをより正確なものにしていくんです( ⇒
田中潔准教授インタビュー,研究者に聞く第1回『海の流れと運ばれる栄養と生物との関係を調べてモデル化する』)。
モデルを作り上げるときに,この三陸地域ならではの特徴はありますか?
海洋モデル構築はかなり進んでいるのだけれど,沿岸のモデルを作るのは難しいんですよ。例えば今,天気予報の精度が上がってきて何日か先の天気まで予報できるようになっているけど,それよりも難しいことなのです。それは,沿岸の浅い海は色々複雑になる条件が重なっているからです。とくに三陸はリアス式の独特な地形もあるでしょう。それに,陸や海からの風,川からの水,深さ,潮の満ち引き,などなどです。
広い海のまん中よりも,海岸に近いところの仕組みを再現するほうが難しいということ?
そうですね。たとえば福島第一原発の事故で海へ放射性物質がどう流れていったかなんてもっとかんたんにわかりそうなものでしょう?でもあれは岸で起きたことだから,複雑でわかりにくいのですよね。
……そうかあ。実際の作業としては,何のデータをとっているのですか?
水温 · 塩分 · 流れ · 栄養塩 · クロロフィル · 溶存酸素。
ひとつずつ説明しましょう(図表参照 ↓)。
水中の栄養分や植物プランクトンがどのくらいあるかによって,ワカメやカキなどの成長に影響があるということ。例えば昔から,大槌湾はワカメ,山田湾はカキの養殖が盛んだけれど,この違いはどこにあるのか。何かそのようになっていった理由がかならずあるわけです。
養殖業の再開とこれから
大槌湾のワカメ養殖や山田湾のカキ養殖は,もう再開されているのですか?
ある程度再開されています。そして去年(2012年)のワカメやカキの成長はすこぶる良かった。
ええ。でもそれを「良かった」と言って本当にいいのかは,難しいところなんです。いろいろなものがよく獲れたのは,皮肉なことに,たぶん震災のせいで一年養殖を休んだからでしょう。それに養殖を再開したくてもできなかった人たちがいる。資金の問題だったり,家族を亡くしたりして労働の手がないとか,いろんな理由で……。一年休んで,しかも養殖をする人が減ってしまったせいで,海の中の栄養が増えた。そのせいで2012年のワカメやカキがよく育ったと考えられるんです。だから諸手を挙げて良かった,とは言えない。そして今はまたすごい勢いで養殖が再開されています。
大槌湾の養殖風景(2013年5月撮影)
では去年が良くてもこれからもまた成長が良いとは限らない,今後はどうなるかわからないということですか?
すごい勢いで獲っていたら,やがて獲れなくなってしまう。ということは漁師さんたちも経験上わかっているはずなんですよね。何だかんだ言って,漁師さんたちのいうことは確かだもの。でもわかっていても,獲らないわけにいかない。
そういうことを指す「共有地の悲劇( “tragedy of commons” )」という言葉があるんです。多数者が利用できる共有地は管理できない,ということです。もし自分の所有地であれば,人は海洋資源を絶やさないために獲る量を調整するでしょう? でも成長を良くするために自分が養殖する場所を増やさないでいても,そのあいだに他の人がどんどん増やしてしまって,結局は自分の取り分が減ってしまう。利益の最大化を求めて皆がより多くの養殖場を増やしていった結果……皆が被害を受けることになる。これが「共有地の悲劇」です。
……なるほど。困ったことだけど,漁師さんたちは生活がかかっているから……。
そう。だからって研究者の立場で「獲らないで」とは言えないですよね。漁師さんたちには漁師さんたちの生活があるから,どのくらい獲るのが適切なのかという研究成果が出るまで待っていられないわけですよ。
この問題を研究と関連付けるのは難しいし,今の段階では,そんなにうまくいかないでしょう。裏付けをとることができるのは10年後でしょうね。でも「どうしたらよいか?」という問いに答えられるよう,ちゃんと準備しておきたい。今だって「どうやったらたくさん獲れますか?」って聞かれることもありますよ。ただいつか,「本当にどうしたらよいか?」と皆で考える時が来ると思います。歩み寄りの時がね。
分析センターの構築とは?
各班がとってきたデータは,分析センターにまわします。
分析センターというのは,どこかに新たに建物を建てるということですか?それとも大気海洋研究所の中にも「
国際連携研究センター」とか「
地球表層圏変動センター」とか,建物があるわけじゃなくて,研究所の中のいくつかの部屋でやっている機関,みたいなものがありますけど……。
そういうことです。最初は大槌の沿岸センターがもっと早く復興すると思っていたから,そこに分析センターを作りたいと思っていました。でも復興に結構時間がかかりそうなので,柏の大気海洋研究所の中にしました。教員がついて常勤なり非常勤の職員でサンプルの処理や分析をして,公表や管理をする。今もデータの一部はホームページに載っています(⇒
大槌湾環境モニタリング)。これからさらに拡充して,アーカイブを作るつもりです。
海の中の生きものたちは,とても強かった!
震災が起きてからも,この事業が始まってからも,まだそんなに時間がたっていません(2013年1月現在)。だから,これまでの研究によりわかったこと,というのはあまりないかもしれませんが……,何かありますか?
津波そのものの影響は結構あると思っていたのだけど,2011年5月の観測で,海の中のプランクトンは,ちゃんと元通りになっていたんだよねえ……。陸上は震災でものすごく様子が変わっちゃったでしょう?一方,海は表面を見ただけでは変化しているように見えない。それで海の中のプランクトンや栄養塩はどうかと思って調べてみると,変わってなかったんですよ。
「東北マリンサイエンス拠点形成事業」とは直接関係ないのだけれど,僕はプランクトンを研究しているので震災後のプランクトンを調べてみると,まったくと言っていいほど,どうってことなかった。陸上と違ってね……。
ああつまり,ずっと自然界にいた者たちは,もう1000年に一度の震災と津波くらいでは大丈夫なように,ご先祖様から……。
もうDNAで受け継がれているのだよね。今回みたいに巨大な津波は,500年から1000年に一度とかいうけど,今回ほどではなくても三陸にそれなりに大きな津波が来るっていうのは,50年から60年に一度っていうでしょう。人間だって一生に一度は遭う頻度。だから,波や潮汐や海流にいつもさらされている海の中の生き物たちにとっては,どうってことなかった……。彼らはとても強い!ってことがわかった。
大槌へ · 東北へ……ただ通い続ける
それは……一言では語れない。一晩中話せます。
僕は東京出身なのですが,その次に長くいたのが北海道で,その次が大槌。だから大槌は第三の故郷と思っているのだけど……そうは言っても,やっぱり自分は被災者ではないわけで,第三者なんですよね。
2か月に1度のペースで大槌に行っているけれど,行くたびに人々の様子が違うんですよ。地元の人たちの気持ちや表情が……一度として同じことはない。だから簡単にはいろいろ言えないし,自分もどんな心持ちでいたらいいかわからなくなってきた。「頑張って」なんだけど,「頑張って」とは言えなかったり,でもここは「頑張って」しかないと思ったり,だから僕はもう自分の気持ちを考えるのはやめて,大槌に行き続けるしかないと思っています。
研究者の皆さんへ「一緒にやろうよ。」
プロジェグランメーユや東北マリンサイエンスに関わる研究者の皆さんに,伝えたいことはありますか?
是非一緒にやりましょうよ!ってことかなあ。研究って,普段はちょっと競争的な面がどうしてもあるでしょう? でも,この東北マリンサイエンス拠点形成事業に関しては,分野が違う者とか,研究機関や所属も違う者,畑が違う人同士でも,いろんな人が集まって “ not competitive(競争でなく一緒に)” でやりましょうよ,と思います。
インタビューを終えて
津田班長とはインタビューの前後にバードウォッチングの話から,弓道の弓矢,絵画,と話題が広がりました。「釣り・研究・家族は同価である」という班長。料理好きでもあるようです。研究室の前にはいつも「下ノ畑ニ居マス」(宮沢賢治?)という貼り紙が出ています。「下の畑ってどこ?」と尋ねたら,「おしえてあげない!」……。多彩な顔を持つ謎めいた班長からは,研究のことのみならず,多彩なお話しが聞けました。
【番外編】カイアシ博士は,バードマニアだった!?
インタビューの数日前,研究所内に貼られたポスターにあるカモメの絵を「これはユリカモメ成体冬羽」「東北地方にも分布するけど冬しか来ない。東北の海はウミネコだよ」と指摘する班長の姿がありました。そこで,メーユが違いをあらためて質問すると「鳥」の本を出して説明。ン? 津田班長は鳥博士? ……鳥の話もたずねてみました。
今日はインタビューの最後に,研究以外の興味や趣味をたずねようと思っていたのですが,津田班長は「鳥マニア」とわかりました。鳥への興味はいつから?
それこそ大槌がきっかけなんだよね。学生の頃……,1983年から毎年春に1か月くらい大槌に行っていたわけです。それで最初は,留学生の友達がバードウォッチング2年くらいのキャリアがあって,彼に付き合って見始めたら,面白いじゃない?!って。
1983年って30年前……。毎年季節ごとにウォッチングに出かけたりするのですか?
いいや,鳥ってどこでも見られるのがいいんですよ。例えば柏キャンパスにいたってどこにいたって,鳥を目にすることができる(この時,窓の外にも)。鳥のいないところってないでしょう? 15分の暇があれば鳥を見て楽しめる。とても良い時間の使い方ができるんです。
へえ〜。そういえば今朝だけでもいろんな鳥を見たなあ……。
でも普通に考えたら「東京の大都会に比べ,この柏キャンパスなら公園も近くにあるし,たくさんいろんな鳥がいるだろう」って思うかもしれないけど,実際はそうでもないんですよね。まあ東京の場合はちょっと特殊で,鳥が集まる場所も少ないから一か所にいろんな鳥がたくさん集まるという要素もあるのだけれど,案外この周辺にはそんなにいない。もともと湿地だったからかな。この辺りは田んぼも少ないでしょう。鳥を見れば,その土地がどんな環境かわかるんですよ。
取材日: 2013 年 1 月 31 日 (構成 / イラスト: 渡部寿賀子)