第 3 回 生態系はどのように回復していくのか
研究テーマ 2 代表 : 河村 知彦
東京大学大気海洋研究所 国際沿岸海洋研究センター
生物資源再生分野 教授
海洋生態学,水産資源学,水産増殖学
(海産無脊椎動物,海産付着性微細藻類)
沿岸センター共同利用研究のつながりで研究者が結集!
河村班は,生物や生態系に関することが研究テーマですよね?
はい。私たちの班では,東北の海の生態系やそこに生息する生き物たちが,今回の大地震と大津波でどのような影響を受けて,それがどのように変化しているのかを調べています。
この班は研究対象の生物も,研究場所も,研究方法や使う機材もさまざまですね。参画している研究者は,他の研究機関と合わせて15グループ……だいたい50~60人ですか?
さらに学生も入れると100人以上はいますよ。「東北マリンサイエンス拠点形成事業」全体の4分の1くらいだそうです。
大所帯ですね! どのように集まったのですか? 震災前後で研究者同士のどんな動きがあったのでしょう。
私たちが拠点にしている大槌の国際沿岸海洋研究センター(沿岸センター)は,共同利用・共同研究施設になっています。ですから,東京大学だけではなく他の大学や研究機関からもたくさんの研究者が,震災前から沿岸センターを利用して大槌の海の研究をしていたのですね。
地震や津波の影響を知るためには,震災以前の調査データが必要ですが,同じ場所で長年継続して調査を行っていた人はそんなに多くはありません。大槌の沿岸センターを利用して長年研究を行っていた人たちは,震災前の貴重なデータを持っておられたので,そういう人たちを中心にできるだけ多くの方に声をかけて,プロジェクトに参加してもらいました。結果的に,三陸や常磐沿岸のいろいろな場所で,いろいろな生物について研究している多くの研究者が集まったグループになったわけです。
班長は岩手県の大槌湾のほかに宮城県の牡鹿半島にも通っていますけど,両方の場所で調査しているのはどうしてですか? そこで研究しているのはなぜ?
私は25年くらい前から,東北の海でアワビやウニなど,海の底に生きている生物たちの研究をしていました。2000年に大気海洋研究所に来るまでは,宮城県の塩釜市にある東北水産研究所 (東北水研) で,どうしたらそういう生き物の生産量を増やせるかとか,そうした生物がどこで生まれて,どんなふうに育つのかといったことを研究していました。大気海洋研究所に移ってからは,南の海の生き物たちの研究も始めましたが,東北水研の研究者や宮城県や岩手県の水産試験場の人たちと一緒に,東北の海での調査も続けていました。牡鹿半島の調査場所は,東北水研にいた頃からずっと通って調査しているところです。 私たち以外にもここで調査されている研究者がいて,この場所にどんな海藻が生えているか,どんな動物が生息しているか,そしてそれらが毎年どのように変化しているかなど,いろいろなことがわかっています。だから震災の前後で何がどのように変わったのかわかるのです。
地元の漁協や漁師の皆さんにもご理解いただいて,長年一緒に調査をやらせてもらっています。20年くらい前に海底の岩に打った金具などが今も残っていて,いまだに使っているのですよ。
いっぽう,沿岸センターのある大槌湾では,牡鹿半島と比較するために7,8年前から調査を始めました。
潜水調査の様子
地震と津波の影響-[1] 砂地と岩場,海草と海藻の違い
大槌湾と牡鹿半島では,同じ東北の海でも少し違うのですよ。私たちが研究しているエゾアワビやキタムラサキウニはどちらにもいるのですが,生えている海藻の種類が違うのです。
牡鹿半島には褐藻類という仲間の大型の海藻「アラメ」がたくさん生えています。大槌湾にはアラメは生えていなくて,その代わりに同じ褐藻類ですが「ホソメコンブ」というちがう海藻がたくさん生えています。アラメは寿命が6,7年もある海藻(多年生海藻)ですが,ホソメコンブは寿命が1年しかない1年生海藻です。ですから,牡鹿半島では1年中アラメが茂っていますが,大槌湾ではホソメコンブが枯れてなくなってしまう時期があるのです。同じ磯 (岩場) の藻場でも,牡鹿半島と大槌湾の藻場では,そこに生息する生き物たちの暮らしには大きな違いがあります。
「カイソウ」には「海草」という漢字と「海藻」という漢字の両方が使われているけど,何が違うんだっけ?
同じ「カイソウ」でも「海草」と「海藻」は実は全然違う仲間です。研究者のあいだではふつう「海草」はカイソウではなくて「うみくさ」と読みます。表で説明しましょう。
【表】海草(うみくさ)と海藻(海藻)の違い 実は,この海草と海藻で,津波によって受けた影響は大きく違いました。岩場に生えていた海藻には予想外に影響が少なかったけれど,砂地に生えている海草は大打撃を受けました。
大打撃……。砂地にいた海草が津波で流されてしまったということですか?
岩場に強くくっついていた海藻は流されなかったのですが,砂地に生えていた海草は砂と一緒に津波で流されて,いなくなってしまったのです。海草の葉の上に生息していた小さな生き物たちも,海草と一緒にいなくなってしまいました。藻場の中に暮らしていた生き物たちもすみかを失って大変です。
藻場って,「海のゆりかご」とか呼ばれているけど,藻場がなくなったら魚の子どもたちはどうなるの?
東北の多くの場所で,海草の藻場が大打撃を受けました。藻場がほとんどなくなってしまった場所や,面積がすごく減少したところがたくさんあります。そういう場所では,もしかするとこれから,そこで育つ魚や貝などの量が減ったりすることがあるかもしれません。そういうこともこのプロジェクトで調べて,明らかにしていきます。
地震と津波の影響-[2] 調査地点 (震源地との距離や地形) による違い
班長が研究している,アワビやウニはどうなったのですか?
アワビとウニは,どちらも海藻の生えている岩場(磯)に生息していますが,津波によって受けた影響はかなり違っていました。まず,私たちの調査地点で最も多く見られる「キタムラサキウニ」についてお話ししましょう。
大槌湾の調査地点は,深くえぐれた湾の入り口に近い場所だったのですが,そこでみられた津波の影響は,牡鹿半島の調査場所に比べるとずっと小さかったといえます。牡鹿半島の調査地点は地震の発生場所(震源地)に近く,外海に直接面した場所なので,水深10mくらいにある大きな岩が割れたり,横転するなど,津波の影響をより強く受けたようです。しかしキタムラサキウニの密度は,影響の比較的少なかった大槌湾でも7割くらい,牡鹿半島では9割以上と,いずれも激減しました。
いっぽう,「エゾアワビ」に対する津波の影響は,キタムラサキウニに比べれば小さかったように見えました。漁獲されるような大きなエゾアワビ(殻の大きさが5cm以上)は,大槌湾の入り口近くの調査地点ではほとんど減りませんでした。影響の大きかった牡鹿半島の調査場所でも5割程度は残りました。
もっとも,キタムラサキウニの数は,多くの場所で震災後にかなり回復しています。津波で深いところに流されたウニが浅瀬の藻場に戻ってきたのです。ウニに比べれば影響が少なかったと思われたアワビの方が,実は影響が大きかったことがわかってきました。
地震と津波の影響-[3] 親と子 ・ 生息場所による違い
「ウニよりアワビの方が実は影響が大きかった」……? どういうことですか?
比較的大きなアワビはそれほど影響を受けなかったのですが,小さなアワビは大きな影響を受けていたのです。4cmくらいよりも小さなアワビの多くは,津波で流されていなくなってしまいました。小さなアワビの方が岩にくっつく力が弱く,津波に流されやすかったこともありますが,アワビの親と子で生活している場所が違うこともその原因と思われます。
卵を産むことができる親の貝のことを「成貝」,まだ卵を産むことのできない子どもの貝を「稚貝」と呼びますが,アワビの場合,卵から生まれたばかりの頃はまだ「稚貝」でもなく「幼生」と呼ばれます。幼生は海の中をプカプカと漂っているのです。形も成貝や稚貝とは全く違っています。海水中に浮かんでいる「幼生」から岩にくっつく「稚貝」へと「変態」するのですよ。
「変態」……? オタマジャクシがカエルに変わる,「変態」のこと?
そうです。いもむしがさなぎになり蝶になる,あの変態のことです。発達の途中で,急に形や生活のしかたが変わることです。海の生き物の中にも変態するものがたくさんいます。ヒラメやウナギ,イワシなどの魚でも変態するのですよ。「しらす干し」の「シラス」はイワシの子どもですが,親のイワシとは全く違う形をしているでしょう。
そういえば変態する生き物たちは,変態して生活する場所を変えますよね。セミは幼虫が土の中から地上に出てきて,木に登ってセミへと変態するし,オタマジャクシはカエルに変態して陸上に上がれるようになるね。
ではエゾアワビについて,詳しくお話ししましょうか。※図参照
【図2】エゾアワビの生活史 [1]「幼生」が海の中に漂っているのは数日から長くても2週間くらい。
[2]「無節サンゴモ」という海藻の仲間がついている岩を選んでくっつき,変態して「稚貝」になる。 変態したての大きさはおよそ0.3mm。
[3] 3~4cmに成長するまでは無節サンゴモの上で生活する(エゾアワビだと少なくとも2,3年)。
[4] その後,アラメやコンブの仲間などの大きな海藻群落(海藻がたくさん生えて林のようになっているところ)の中に移動していく。
ちなみに,卵が産めるようになる(雌の場合),つまりおとなのアワビとなるのは5cmくらい,漁師さんたちが漁獲できるようになるのは 9~10cmです。そこまで大きくなるのには,少なくとも5,6年はかかります。そのまま獲られなければ,20年から30年は生きると考えられていて,20cmにも成長するのですよ。
ええっ!そんなに大きくなるの?!…ところで「無節サンゴモ」って,名前はサンゴに似ているけど,サンゴじゃなくて,「藻」なんですか?
そうです,ピンクがかった色をした海藻なのですが,みんなのよく知っている海藻とは見た目がだいぶ違います。無節サンゴモには,普通の海藻にはある「葉」のような部分はなく,岩や石の表面をおおうように生えています。ちょうど岩の表面をピンクのペンキで塗ったような感じです。無節サンゴモの表面はサンゴと同じように石灰化していて非常に硬く,だから「サンゴモ」と呼ばれるのですが,動物の仲間のサンゴとは違って,ノリやテングサと同じ,「紅藻」という仲間に入る海藻なのです。
キタムラサキウニの幼生もやはり海中に漂っていて,無節サンゴモを選んでくっつき,稚ウニへと変態します。エゾアワビと違って,おとなのウニに成長してもアラメやコンブの群落内には移動せず,ずっと無節サンゴモの上で生活します。
キタムラサキウニの多くが津波で流されてしまったのは,エゾアワビよりも岩にくっつく力が弱かったためでもありますが,アラメやコンブの群落内ではなく,無節サンゴモ表面の流れに直接さらされる場所にいたためとも考えられるのです。
【図3】アワビの稚貝と成貝の生息場所(震災前後の比較)アワビの漁獲量と種苗放流事業
アワビの話に戻りますが,大きなおとなのアワビは津波にも耐えて,それほど減らなかったのですが,無節サンゴモ上にいた3cm以下の稚貝はほとんどいなくなってしまいました。漁師さんたちの獲る大きなアワビは,今は減っていないのですが,津波で流されてしまった少なくとも3年分くらいの稚貝が本来なら成長して漁獲できる大きさ(9cm以上)になる来年あたりから,減り始めると予想されます。
そうすると,獲れるアワビの数がどんどん減ってしまうのですね? アワビはもう獲れなくなってしまうのですか?
ちゃんと考えてアワビを獲っていけば,そのうちまたアワビの数は回復するはずです。しかし,あまり考えずに,これからも今までどおりに大きなアワビを獲ってしまうと,将来的にアワビ全体の数を減らしてしまうかもしれません。漁獲できるアワビが減るということは,子どもを産む親アワビの数が減ることにもなるからです。本当はしばらくの間,できるだけアワビを獲らない方がいいのです。親の数を減らさないようにして,これから生まれる稚貝の数を増やした方がいいからです。
アワビの稚貝を人工的に殖やすことはできないのですか?
アワビについては,日本全国で種苗放流事業というものが行われています。これは,陸上の飼育施設で人の手によって育てたアワビの稚貝(2cm)を海に放して,アワビを増やそうという試みです。東北地方の沿岸でも30年以上にわたって,たくさんの稚貝が放流されてきました。漁獲などによって減ったアワビを少しでも増やそうとするものです。実は,今回の大津波で,三陸や常磐沿岸でアワビを育てていた施設の多くが壊れてしまい,現在は放流が行えない状態にあります。ですから,アワビにとってはますます厳しい状況なのですね。人間が獲らなければ,いずれはアワビの数は元に戻ると思いますが,獲ってしまえば,本当にいなくなってしまうかもしれない。けれども,アワビを獲る漁師さんたちにとっては生活がかかっていることでもあるから,アワビをまったく獲らないわけにはいかないでしょう。これは本当に難しい問題です。
干潟や砂浜はこれからどうなるのか?
地震の影響で地盤沈下が起きたり,津波で海岸の様子が変わったりしていると思うのだけれど,今,海ではどういったことが大きな問題になっているのですか?
地盤沈下は特に深刻な問題ですね。場所によっては1m近くも地盤が沈んでいて,その分水面が上がっています。同じ場所で見れば水深が深くなっているのです。たとえば,干潟を考えてみましょう。干潟というのは,潮が引いた時に海水が干上がって砂や泥の海底が出てくる場所です。満潮時にはまた海の底に沈みます。水深が深くなると,今まで干潟になっていた場所が,潮が引いても干潟にならなくなってしまうのです。
干潟といえば,潮干狩りを思い浮かべる人も多いと思いますが,アサリなどの貝をはじめとして,干潟にはたくさんの生き物が生息しています。ヒラメやカレイなどの子ども(稚魚)や,干潟にしかいない生物もたくさんいるのですよ。
「干潟」が干上がらなくなると,そのような環境を好んで生息していた生き物もいなくなってしまうということですか?
そうです。干潟には,アサリなどの二枚貝のように,海水をろ過して海水中の植物プランクトンなどを食べる生物がたくさん生息しています。それは海水をきれいにすることにつながります。目に見えないほど小さな微生物も非常に多く生息していて,有機物を分解する働きをしています。これらもやはり海水をきれいにしています。これを干潟の「浄化機能」といいますが,干潟が果たしているとても重要な役割です。
干潟がなくなってしまったり,小さくなったりすると,その浄化機能も失われてしまうことになるのですか?
そのとおりです。干潟や砂浜などは,今回の大津波でものすごく大きな被害を受けました。多くの場所で,砂や泥がそこに暮らしていた生き物とともに津波に持ち去られました。あるいは逆に,津波で別の場所から運ばれてきた砂や泥に,おおわれてしまったところもあります。そこにさらに地盤沈下の影響も加わって,大きな変化が起きています。しかし,震災から2年が過ぎて,各地で干潟や砂浜が少しずつ元に戻ってきていて,生き物も回復しつつあることがわかってきました。
ただ,すべてが元通りになりつつあるわけではありません。地盤が沈下したので,干潟や砂浜の場所は以前よりも陸側に移動しています。中には,今まで陸地だった場所に海水が入り込んで湿地(塩性湿地)となり,そこに新しい生態系ができつつある場所もあるのです。
【図4】多様な生態系とそこに生息する生き物たち 干潟や砂浜の場所がちょっとずれただけで,そこにまた生き物がもどってくるのですね!
そうですね。そのまま自然の成り行きに任せていればそうなるはずです。でも本当にそうなるでしょうか? 陸地が減ってしまうのは私たち人間にとっては困ることですから,そうならないように堤防を造り,陸地に海水が入ってこないようにするでしょう。 津波の被災地では今,巨大な防潮堤を造る話が進んでいます。津波の被害から街や田畑を守るためですが,もしそれが今までと同じ位置に造られるのだとすれば,場所によっては干潟や砂浜がなくなってしまうかもしれないのです。
すると……,もう潮干狩りができなくなってしまうの? 巨大な防潮堤を造ったらまた生態系が変わってしまうんじゃないの?
干潟や砂浜が減って潮干狩りができなくなったら,きっとまた埋め立てて人工の干潟を造ろうとするかもしれませんね。でも,自然のしくみはすごく複雑で,それを人間が作り出すことはすごく難しいのです。上手く作れたとしても,たくさんのお金と時間がかかります。
今回の大地震と大津波で受けた影響の大きさは,場所によっても生態系によっても,また生き物の種類によっても様々です。しかし,生態系もそこに棲む生き物たちも震災直後から刻一刻と変化していて,また自然の営みを取り戻しつつあります。今回のような大きな地震や津波は千年に一度といいますから,私たち人間にとっては,全く経験のない災害だったわけですが,人間よりもはるかに昔から地球上に生きている生き物たちにとっては,何度も乗り越えてきたものなのかもしれません。
しかし,これから私たち人間によって防潮堤やその他の様々な人工物が造られることは,彼ら海の生物には想定外のことかもしれません。せっかく回復しつつある自然をまた壊してしまう,もしかすると回復できないほどの打撃を,私たち人間が与えてしまう可能性だってあるのです。
もちろん海辺で暮らす人たちのことをまず第一に考える必要があります。しかし,そこで採れる海の幸が減ってしまったり,海辺の美しい景色,きれいな砂浜や潮干狩りのできる浜辺がなくなってしまったら,元も子もないじゃないですか。そうならないように,私たちは考えていかなければいけないのです。このプロジェクトの成果もそのために使われるべきものと思います。
海や海の生物をよく知るきっかけや,考えるチャンスに
最後に,大槌や東北に対する思いや,市民の皆さんへ伝えたいメッセージを聞かせてください。
私は,現在は大槌の沿岸センターに所属していますが,以前にも宮城県塩釜市にある研究所で12年も働いていて,宮城や岩手の海で研究をしていましたので,東北の街や海にはいろいろな思いがあります。今回の地震と津波による被害は本当に想像を絶するもので,被害に遭われた方々には言葉もありません。少しでも早く元の生活を取り戻していただけることを願うばかりです。
同時に,海の環境や生物資源(食料となる魚介類など,人間にとって必要な生き物)のことを考えると,この大きな災害から,ただ元通りに戻すというだけではなく,以前よりも良くなる方向に向かってほしいと願っています。海の生物資源も考えて使えば,もっとたくさん獲れるようになり,もっと上手に利用できると思います。地震と津波が起こらなければ,みなさんだって,海の中がどうなっているか,何が起こっているか,それがこれからどのように漁業に影響するかなど,これほど考えなかったでしょう。だからこれを,みんなが海や海の生物をよく知るきっかけや,考えるチャンスにできれば……。私たちの研究が少しでもそのお役に立てればと願っています。
海の生態系や生物資源に対して,地震や津波そのものの影響も,もちろん大きかったのですが,私たち人間がこれから及ぼす影響の方がもしかしたら大きいのかもしれません。私たちはこのプロジェクトの中で,地震と津波の影響を把握するだけではなく,海の生態系やそこに暮らす生物たちがどのようなしくみで変化しているのか,それがこれからの海の環境の変化とともにどうなっていくのかを明らかにしていきます。同時に,私たちが海の生態系や生き物たちとどのようにつきあっていけば良いのか,大切な海の幸を長く将来にわたって上手に使っていくためにはどうしたらよいのか,そういうことを地元の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。「海は私たちみんなの大切な財産」ですから。
インタビューを終えて
今回は生態系や生き物,また,漁業や私たちの暮らしと密接に関わっているテーマだったこともありますが,河村班長は質問の一つ一つに丁寧にこたえてくれるので,お話が尽きませんでした。「研究者として大事なこと」を聞くと,「長く見ること,続けること」。この事業も10年は続けることが必要だそうです。サッカー,スキー,バードウォッチング,貝の収集……,と多趣味な班長に「なぜ研究者の道に進んだのですか?」と質問すると,微笑ましい少年時代のお話しを聞かせてくれました。
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取材日: 2013 年 6 月 25 日 (構成 / イラスト: 渡部寿賀子)