▼ 生き物は地球をまわる物質の「橋渡し役」▼ 海は地球の緩衝剤?▼ 基礎的な栄養分のモニタリングで「漁業指標」を示す▼ 一斉にとりくむことで進む理解、それがチームの意義▼ 調査は必ず町の財産に生き物は地球をまわる物質の「橋渡し役」
私は環境中での物質の動きを見る研究をしています。中でも生き物が反応に関わっているものです。
私の場合、微生物…、バクテリアなのですが、そういう単細胞の生物が、物質を作りかえたりする動きのことです。中でも炭素・窒素など、生き物全般の体を作る物質を調べています。「懸濁態」というのですが、粒子としてコロッとした形の、要は漂っている物ですね。「懸濁態」に対して水に溶けている物を「溶存態」といいますが、海洋化学ではそのような分け方をします。実際は漂っているものだけでなく沈む物も対象にしているのですけれども、私はこの固まりになっている物を見ています。
海の中では、漂っている物質を生き物が利用して、より大きな固まりを作り出したりしています。生き物自体もすでに、溶けている物質を集めて体になった段階で、元のものより大きな固まりになっているとも言えますね。そういった生き物が、生きている過程でゴミを出したり、食べられて死骸・遺骸になったりします。すると生き物ではない固まりも次第にいろいろと出来てくるんですね。
はい。窒素やリンなどの栄養塩類というのは、化学の言葉で「無機化合物」といいますが、それを植物プランクトンや細菌が取り込んで「有機化合物」にします。それが食べられて生き物の体になり、それがまた生き物に食べられて排泄されたりすると、有機化合物はまた微生物に分解され、また無機化合物に戻ります。無機化合物を利用できるのは、植物プランクトンと細菌だけですが、すべてのそういった元素を必要とする生き物は、そこから始まって食べる・食べられるということを繰り返しています。それがどんどん大きな生き物に伝わることで、食物連鎖が成り立っているわけですね。
食べる・食べられるという関係を単純化するとチェーン状の「食物連鎖」だけど、実際はあちこち交差したウェッブ状の「食物網」になっているんですよね。
【 図1:栄養塩は海の肥料】 そうです。食べたり食べられたりといった関係の中で、炭素や窒素やリンなどの元素はいろいろと形を変えて、環境の中を回っています。食物連鎖のような概念的な循環だけではなく、たとえば海の表層10mあたりで食べられて残ったゴミが、マリンスノーとなってフワフワと数千メートルの海底に沈んで行くなど、距離のある移動もともなって海の中をめぐっています。陸からさまざまな物質が川などを通じて海に流れ込んで、それを生き物が利用するというのもあります。
物質は地球の中をぐるぐる動きまわっているのですね!
ええ、そうですね。「沈む・流れる」というと物理的な現象ですが、そうではなくて「生き物が介在して形を変えるようなプロセス」を支点に研究しています。そうした地球科学的な物質の循環、中でも「生き物が橋渡しをするプロセス」を見ているので
「生物地球化学marine biogeochemistry 」と呼んでいます。私が見ているのは主にゴミ、海のゴミですね。
「海のゴミ」というのは、海の生き物が出す排泄物のこと?
そうですね。「ゴミ」というと語弊がありますね。そうした物には、細かく見ると生き物が「積極的に作り出した」と思える、「生き物でない物質」もあります。そういった、生き物が固まりにする、あるいは固まりそれ自体、そして固まりが沈んでいく過程で深海の生き物にどうやって利用されるかといったことなど、……「固まり」と「微生物」というのを、海の表層から海底までいろいろと場所を変え、視点を変えて見ています。
海は地球の緩衝剤?
なぜその研究を? 学生の頃からとりくんでいるテーマなのですか?
学生の頃からですね。「生物ポンプ」って言葉、聞いた事ありますか?
海が二酸化炭素を吸収するしくみのひとつです。海の表層で植物プランクトンが光合成をして二酸化炭素を有機物として取り入れると、生き物が食べて排泄したり、遺骸になり、その一部のゴミや、それにくっついたプランクトンがマリンスノーとして海の底に沈んでいきます。海洋の表層で二酸化炭素だったものが有機物になって深海に沈む。二酸化炭素を含む水が海の大きな流れでまた表層に戻ってくるのは、数十年から数百年の時間がかかるのですね。ですから見かけ上では、空の二酸化炭素を有機物という形にして海が吸収していることになるわけですよ。
【 図2:見かけ上、海が二酸化炭素を吸収? 】 ええ。深いところにある水は、深層大循環といった大きな海の流れや、季節の混ざりなどで湧き上がってくるなどして、また上に上がってきますが、それには場所にもよりますけど、時間がかかります。その時初めて、あの時沈んだ二酸化炭素が上がってきた、ということになるのですね。生物が活発に活動すればするほど、上のほうにあった二酸化炭素を下の方へ送り込むことになるので、そうしたプロセスを「生物ポンプ」と言います。ですから、海には我々人間社会が放出した二酸化炭素が空に溜まるのを緩衝する能力があるわけです。
【 図3:生物ポンプと海の緩衝能力 】 緩衝能力……。「生物ポンプ」って「環境問題」と関係がある話ですか?
まさにそうです。私が学生の頃は、大気中の二酸化炭素が上昇し始めて、地球温暖化や海洋酸性化などの環境問題が話題となった時期でした。気温が上昇すると様々な環境問題につながります。それで、海がどうやって二酸化炭素を吸収するのか、といったことが注目されてきました。実際にどうやって吸収しているのかということと同時に、人為的にそれを増やせないかといったことも議論されていました。今でも盛んですが、「地球規模での炭素循環」は世界的な大きなテーマだったわけです。
海が二酸化炭素を吸収したり吐き出したりしていることに、海の生物が大きく関わっているのですね?
ええ、ゴミが固まるというプロセスに生き物がどう寄与しているのかといったことは、海洋学の中の大きな話題でもありました。その中のごく一部を私が担っていてCO 2濃度の上昇に関わる炭素の動き、特に生物が関わっていることに注目しているわけです。海には緩衝能力があるけれども、実際はどうなのか。このまま温暖化や酸性化が進んだ時に、緩衝能力は強く発揮されるのか、それとも弱くなってしまうのか。将来予測のためにも重要なテーマです。
基礎的な栄養分のモニタリングで「漁業指標」を示す
私は大槌の国際沿岸海洋研究センター(以下:沿岸センター)に赴任するまでは、実は海の外洋の方をやっていたんですね。それが大槌に赴任したことで沿岸も見るようになってきました。懸濁物を見る装置を持っていたので、震災前は他の研究者の方と、アマモ場での粒子の動きの研究を始めたところでした。
「アマモ場」って、アマモがたくさん生えている群落みたいな場所のこと?
そうです。アマモ場には、アマモの中に流れてきた粒子を内部に沈降させる機能があります。陸から来たものを沈めさせて、分解させるんですね。それがアマモ場の内外でどれくらい違うのかを調べていました。
今のところ、根浜は全く回復していないですね。箱崎は年々回復しています。今年の9月の調査では水面近くまで葉っぱが見え、かなり回復していました。
水面から見える、というと、船上での調査ですか?調査や研究の方法は?
グランメーユなどの調査船で行って、採水器をその場で下して調査しています。水中ビデオは入れますが、私の調査では潜水は行いません。水は冷凍するなどして持ち帰り、実験室で分析にかけます。ろ紙の上に集めてクロロフィルを溶かし出し、それを量るといった方法です。
【写真左:ニスキン採水器で船上から採水 右:ろ過後に現れた珪藻を主体とする植物プランクトン】
震災後のTEAMSでの研究も、震災前と同じようにアマモ場とクロロフィルとかを見ているのですか?
アマモ場も続けていますが、TEAMSでは環境の指標となる基礎的な項目、海の中の栄養分(窒素、炭素、リン、ケイ素、クロロフィル)をモニターすることですね。クロロフィルの指標を見ることでは植物プランクトンの量がわかります。植物プランクトンの量は細胞の数を数えるとなると、大きかったり小さかったりと違うので、数ではなく植物全体をすりつぶしてクロロフィルだけを取り出し、1リットルあたりでクロロフィルが何グラム入っているか、といった割合で見ています。それが動物プランクトンやカキやホヤに食べられます。
クロロフィルもふくめた基礎的な栄養分を測ることが、漁業の指標にもなるのですね。
そうです。ですから、そうした栄養物質が震災によって異常な値になっていないかをモニタリングすることが私たちの班の課題ですね。
一斉にとりくむことで進む理解、それがチームの意義
これまでTEAMSで取り組んできた研究では、どのような成果がありましたか。
震災前までの大槌では、私は一人で黙々と調査をすることが多かったのですが、一人でできることには限界があるんですよね。それがこのプロジェクトによって、みんなが大槌に入るようになり、思いのほか理解が進むとわかってきました。非常に単純な手法だと思いますが、汚染物質班の堆積物や、動物プランクトン、生物、また化学、物理と同時に、同時にたくさんの項目でデータがとれることで、一時(どき)に情報が得られるようになったことが大きいです。
なるほど! やっぱりプロジェクトを組むだけのことがあるのですね。どんなことがわかってきたのですか?
第一に、栄養塩類の震災の影響と回復過程がわかってきました。クロロフィルに関して言えば、過去に報告されている濃度から大きくはずれることはありませんでした。濃度は季節によっても変化がありますが、震災直後であっても震災前の季節変動の中にありました。大槌湾の水の循環は、北半球レベルの大きな水の循環の中にありますが、基礎的な水の循環や、基礎的な栄養も変わっていないとわかりました。
【図:大槌湾に流れこむ大槌川・小鎚川・鵜住居川の、全無機窒素(DIN)とリン酸塩(PO43-)関係 】
へえ……。「基礎的な栄養」が震災前の濃度と変わっていないってすごいな。
ところが震災から丸3年が経って今思うと……、という感じでわかってきたことがあります。震災が発生した2011年から2012年3月までの1年目は、普段の大槌とは違っていました。年間の変化で見ると大きな変化ではない誤差の範囲でも、窒素とリンの比率を見ると、通常では考えられない割合、1990年代から2000年代初頃まででは起こっていない組み合わせでした。リンが多く窒素が少ないといった微妙な変化ですが、それは後に2回続けてみて3年経ってわかったことです。
微生物が分解した栄養塩の、比率が変わったということですよね?
そうですね。それともう一つは、これから作られるだろう、シュミレーションモデルを検証するためのデータがとれてきました。
……永田班長は、「シュミレーションモデルを作るには自分たちがとった物質循環などのデータが欠かせないし、逆にモデルができれば、今後どこに重点を置いたらよいかといったことがわかり、観測地点を修正もできる」と話していました。
その通りですね。今までの観測点は2011年5月から開始していますが、私が直感で決めた地点なのです。過去の文献を調べると七戻崎のデータが最も多く、過去との比較からも利用できると思いました。鵜住居川河口が物理的に破壊されているので川の流れが変わるのではないかという心配もあり、ここもひとつポイントだと。あとは大槌川から町の物も流れ出てくるので、川の正面から対岸にかけての場所も重要になるのではないかと考えました。これらを組み合わせると、鵜住居川からの物の流れもカバーできるのではと考えました。
【 図4:大槌湾での観測地点 】○印:水中の成分の分析 赤いピンと黄色のピン:堆積物の成分を分析
水温塩分を調べるのは、測器を上げ下げするだけなので全部の地点で行っていますが、20地点全部であらゆることをやっていたらきりがないので、いろいろな深さで水をとるのは真ん中の○地点ですね。共同利用で来られていた方が泥取り(堆積物の調査)をしていたので、その方に泥取りのポイントを聞いて決めたのが黄色ピン、それと赤ピンです。プランクトンネットをひいてプランクトンの調査も行っています。
GPSでわかるようになっています。グランメーユ船のGPSに記録されているので、指令が出るようになっていて、その場所まで行けるのですよ。調査を始めた頃は船も傭船して自分たちでGPSを持って行き、観測していました。
ハイテク! 環境が整うと調査もしやすくなりますね。今後の課題はどういったことですか。
震災の秋(2011年11月)から川の水も見ていますが、川の栄養塩も微妙に変わってきています。これはおそらく、人の移動や人間活動によるものですが、川も見ていく必要があると思っています。 人間活動の変化にともなって、今後も川の河口や沿岸が変化すると思います。測点16の鵜住居川付近は、防潮堤や水門の建設でとくに変化が著しいです。引き続き調査、モニタリングを続けていきます。
調査は必ず町の財産に
ところでドクトル福田は、震災前から沿岸センター所属で大槌在住でしたよね。現在は横浜市民ですが、大槌でご家族と共に震災に遭われています。震災前からの大槌のこと、また震災時の体験で印象に残っていることを教えてください。
大槌には2007年の3月から2011年の3月まで、丸4年赴任していました。現在小学2年生の長男が3か月の時です。現在幼稚園の年長の長女は出産の時こそ神奈川でしたが、お腹の中にいる時から大槌です。最初は誰も知っている人がいませんでしたが、妻も大槌でママ友ができました。生活面でいうと、ありきたりな言葉ですが、みなさん親切にしてくれました。子どもの日に子どもと散歩している時、お庭でお祝いの食事をしていたご家庭に「どうぞ入ってください」と誘われたり、線路脇で電車を見ていたら「そんな寒い中で立っていないでどうぞ」、と家の中に入れてくれたり。
【 写真左:津波が押し寄せた沿岸センター 2011.3.11】 【 写真右:地震発生直後、裏山へ避難した福田助教と職員 】
長男の幼稚園の関係者から家族がどこに避難しているか聞くことができたので、翌日に避難所で会えました。妻と長女は自宅にいましたが、ご近所の人が大津波警報が発令されていることを知らせてくれて、一緒に逃げていました。長男の幼稚園のバスもすでに逃げているとわかっていたので、迷うことなくすぐに避難できたのが幸いでした。私と妻と娘と三人で真っ暗なトンネルをぬけ、大槌高校にいた長男を迎えに行きましたが、あの時は微妙な緊張感と同時に、どこか現実的でないというような、若干ぼんやりした感じでしたね。不思議なことに、ご飯も食べていないし寝てもいないけれど、お腹が減ったとか眠いという感覚がなかった。喉が渇いたのは感じたかな。
家(新港町)は全壊です。床板しか残っていませんでした。今も大槌へ行くとそこへ行って、手を合わせています。ボランティアさんたちが砂などをきれいにしてくれて、1年目の夏くらいに床が見えるようになっていました。お向かいのガレージに魚を獲る網が流れ込んで引っかかっていて、真っ二つになった子どもの三輪車が絡みついていました。
ええ続いていますね。大槌ではスーパーやコンビニに行くといろんな人と会うので、立ち話をしたりします。息子が幼稚園で一緒だった方たちですが、大槌から盛岡に引っ越されたご家族とも、私が盛岡出張する時などに連絡をとりあって会ったりしています。
このプロジェクトによって、漁業者の方や町の方にはすぐにはわかって頂けないかもしれないけれども、大槌湾や三陸沖において研究面での理解が確実に進み、必ず町の財産になる、必ず役に立つと思っています。そうなると思いますし、そうなるようにしたいと思いながら、研究を進めています。これからもよろしくお願いします。
インタビューを終えて
ドクトル福田はいつも穏やか、ひとつひとつ丁寧にお話しする若手教員で、学生からも先輩の教職員からも慕われ、親しまれている人物です。この日も、海の中を漂うゴミ・生き物の体を作る「懸濁態」と地球規模の「炭素循環」という難しいテーマを、実に丁寧に説明してくれました。「ミクロの世界を見つめることで、マクロの世界の問題解決につながる」というお話は小川班長の時にもありましたが、日々地味に小さな世界を見つめながら、壮大なスケールの研究をしているのだなと感じました。「プロジェクトによって一斉に多くの項目でデータがとれることで理解が進んだ」という言葉は、震災前から大槌に赴任し研究を続けてきたドクトル福田ならでは。引き続き頼みます!
取材日: 2014 年 10 月 1 日 (構成 / イラスト: 渡部寿賀子)
【番外編】
ドクトル福田は大の「ディックブルーナのミッフィー」好き。机まわりには、ミッフィーのグッズがたくさん飾られています。ある日、スタッフが部屋をたずねた時のこと……。
……なぜか聞いた方が照れていましたが、お茶目なドクトルです。
休日はたいてい子どもと遊んで終わるそうですが、実は無類のテレビゲーム好き。読書も小説から漫画までジャンルを問わず、映画、美術と話題をふると、たいていのことが返ってくる「打てば響く」人。「ストライクゾーンが非常に広い」というのが周囲の談です。