第 12 回 海底下にひそむ謎多き生物を調べる
▼ 東北沿岸域の予備調査から、震災後の調査に発展▼ 生息に適した環境か、生き物によって異なる津波の影響▼ 海底堆積物がリセットされ、基礎的な研究が可能に▼ 新青丸ならではの調査で地質記録を探ると同時に、裾野を広げる▼ 地球は未知にあふれている。長い生命の歴史を紐解きたい東北沿岸域の予備調査から、震災後の調査に発展
清家助教は、生物や生態系を調べている
河村班・小島グループで、ベントス(底生生物)が専門ですよね。ベントスというのはこのコーナーでも何度か出てきている言葉ですが、基本的に、岩や何かにくっついているか、地面を這っているか、砂の中に埋もれているような生き物をいうのですか?
海底の上、あるいは中にいる生き物ですね。「表在性」と「埋在性」に分けられるのですが、表在性というと、例えばホタテやアワビとか、岩場などに転がっているもの、くっついているものをいいます。埋在性は、アサリやゴカイのように海底の泥や砂といった堆積物に潜っているもののことです。
しかし魚でも、例えばヒラメなんかは海底にピタッとくっついていたりしますよね。ですから、同じ生き物でも一時的にはベントスだったりするのがいるのです。魚のように自由に動く生き物を「ネクトン」といいますが、ネクトンとベントスの両方の生き方をするものを「ネクトベントス」と呼んだり、いろんな用語があります。
ベントス・ネクトン・プランクトンというのは生き物の種類ではなく、生活様式での分け方で、どっちにも入るようなものもいるということね。
ベントスのほとんどは、子どもの頃はプランクトンで、卵から孵化したばかりの時は小さくて、海水中にプワプワと浮いています。それがそのうち降りて来て、海底で暮らし始めてベントスになる。ですから同じ個体でも一生の間に違う生活様式を持つわけです。私の研究の場合はベントスでも特に、埋在性、埋もれている方を対象としています。
私が行っているのは、岩手・大槌近辺の海底の、埋在性のベントスを調べることです。プロジェクト開始当初は、震災前後での変化について調べていました。たまたま、震災直前の2010年9月に大槌湾や船越湾を調べていたということもあって、震災後は「“地震と津波が海底にどういう影響を与えたか”ということがわかるのではないか」と考えて調べ始めました。震災前の2010年9月に初めて大槌湾と船越湾に入ったのですが、最初は、予備調査のつもりだったのです。
まず簡単に大槌湾と船越湾を見て、どこでどんなことができそうだなとか、どんな生き物がいるかを確認して、次の年度以降にやることを考える、そういった調査です。大地震が起こるなんて考えていませんでしたから、他の研究をやろうと思っていたのです。
国際沿岸海洋研究センター(以下:センター)の調査の船舶の様子とか、潜水調査をどういうふうにやっているかとか、様子がわからないと、どんな研究ができるかわからないので、大槌近辺がどんなところか、状況を把握するための予備調査をしていました。
ええ、でも震災後、当初は調査ができないのではと思っていました。被災して大変な時に「調査したい」なんて言ったら大迷惑かもしれないと思ったのです。しかし、2011年4月にセンターに赴任した白井助教から「調査できそうだ」というのを聞いて、2010年と全く同じ調査を、震災から半年後の2011年9月にも行うことができました。以来、白井さんとはずっと共同で大槌近辺での調査を行っています。
大槌湾と船越湾で合わせて10地点、場所を設定して潜る調査です。二つの湾で、水深が20mよりも浅いところで潜り、海底を見て、手で掘って、そこにいた生き物を採集し、ここにこういうのがいる、というのを調べます。
【図1:大槌湾と船越湾の調査地点】【写真:潜水による定性的な調査の様子】 そうです、こういう方法を「定性的」といいます。その一方で、「定量的」な調査では、例えば潜水にしても海底の1m×1mのこの範囲に、どんな種類の生き物が何匹いました、ということをやって生息密度などを調べるのです。しかし、2010年に行ったのは予備調査としての定性的なものです。手で掘って目に入った大きな生き物しか採っていませんが、「どこにどんな生き物がいたか」を記録したり、サンプルとして採取して持ち帰ったり、そうした調査を行っていました。
調査地点は、清家助教と白井助教で決めておいたのですか。ここを選んだのはなぜ?
予めこういうところでやりたいという希望は出していましたが、震災前の2010年9月に現地に行って船舶職員さんとも相談し、ここでこんなことができそうだという確認をしました。漁業関係の網や筏があるとその場所では調査できませんし、水深や、波、流れとか、危ない場所ではできませんよね。私がリクエストした場所は危険性や漁業との問題もなかったので、この10地点でできました。
先ほどお話したように、私は砂の中に潜っているベントスを研究しています。しかし大槌湾というのは典型的なリアス式海岸で、岩礁地帯ですから、岸から近くても急に深くなっていたりします。一方で湾奥は砂や泥がたまっていて、この10地点は私の研究対象のベントスを研究するのに適した場所なのです。
生息に適した環境か、生き物によって異なる津波の影響
では震災直後の頃は、2010年に大槌湾・船越湾で調査したのと同じ場所で、同じ生き物がいるかいないか、といった事を調べたのですか?
ええ、でも生き物が「いる」ということを証明するのはできるのですが、見つからなかった場合は難しいのですよね。自分がたまたま見つけられなかったということも大いにあるわけで、「いなかった」という証明にはならない。底性調査で得られたデータにはそうした脆さもありますが、それでも震災半年前の2010年のデータがあるのは貴重だったので、2011年と2012年で、同じ調査を行いました。
震災をはさんでその前後3年、比較して、どのような変化があったのでしょう……?
大津波によって、海底の地形は激変していた場所もありました。元の海底がえぐられて浸食されたか、反対に運ばれてきた土砂が堆積したりして、水深も変わっていました。2010年、大槌湾のO-3地点の水深10mの海底は泥質で、穴がいっぱい空いていたので、穴の主がいっぱい棲んでいたことがわかります。掘り出して採ることはできませんでしたが、エビみたいな生きものがいたはずです。しかし2011年、同じ場所に潜ったところ、震災前にあった穴は存在せず、また泥底だったのが砂利底に変わっていました。津波によって土砂が移動して、海底の様子が全く違っていました。震災前に水深10メートルあった所は、震災の半年後に潜ると8メートルくらいと浅くなっていて、砂利が入ってきて溜まったのではないかと思われます。
【図2:大槌湾における津波前後の環境変化】 その一年後の2012年9月は、2010年とあまり変わらない水深に戻っていますね?
不思議なことですが、実は、津波のような急な出来事で地形が変わると、それは長くは維持されないことが知られています。津波で突発的に堆積した物は、その後の定常的な水の流れ、例えば潮汐流や波浪などで運ばれて行くことが知られているので、もしかしたらそうした現象が見られているのかもしれません。少なくとも言えることは、水深が2メートルほど変わったり、泥が砂利に変わっていたりするのはかなりの違いですから、津波によって海底の環境が大きく変わったのは確かだということです。しかも変わったままではなく、津波から1~2年の間は、海底の環境は変化し続けている、ということですね。
もちろん、ベントスも影響を受けたと考えられます。わかりやすいのは津波の後にいなくなった生き物で、「フリソデガイ」や「キサゴ」は2010年にはいたのに、震災後の2年も見られませんでした。その一方で何も変化しなかったという対照的な例があって、「コタマガイ」というのは同じ場所に同じようにいました。
コタマガイはもともと浅い所に棲んでいて、サーフィンをするような波の強いところでもとれる貝なので、突発的な地形の変化などにもある程度適応できたのかもしれません。一方の津波後にいなくなったフリソデガイは泥の海底に棲んでいますが、泥の海底というのは普段は静かなところです。それで突発的強い流れの津波には、対応できなかったのではないかと思います。台風などでも、深い泥場というのはあまり水が動きませんが、津波は、台風などとは動きが違うのです。生き物によって津波の影響が違うということがわかりますね。
【図3:大槌湾の大型底生生物・津波前後の変化】
関連論文:Seikeet al.(2013),Plos One;Goto et al.(accepted),JO 津波は海底をえぐってしまう、「攪乱(かくらん)」を起こすのですね。ところで、「オカメブンブク」って名前が面白いですね、これってウニ?
ウニの仲間です。これは大槌湾では、震災前にはいませんでしたが、2012年には深いところに出てきました。ほとんどのベントスは子どもの頃プランクトンで海に漂っていて、それがある時に海底に降りてきますが、生き物によって、海底に降りて育つことのできる環境と、そうでない環境がありますね。オカメブンブクにとっては、震災後に育つことのできる環境、生息に適した環境に変わった、だから入って来られたのではないかと思います。
「ハスノハカシパン」というウニです。大槌湾が少し泥っぽい所なのに対し、船越湾はきれいな白い砂の海底なのですが、水深5メートルくらいの浅い所に大量に棲んでいました。ところが2011年9月の調査では、砂地なのは変わりませんが、ハスノハカシパンが全くいなくなってしまいました。2012年、2013年になっても戻って来ないですね。
【図4:船越湾における津波前後の環境変化】 オカメブンブクは船越湾には元々生息していたのですが、2011年にはいったんいなくなり、しかし2012年以降、同じ場所に同じようにまた戻ってきています。幼生、プランクトンが海底に着底し、再び生息し始めたものだと思います。
ウバガイ、キサゴなどは、震災以前の私の調査では確認していなかった生物ですが、震災後の2012年からは船越湾でも見られるようになりました。震災前に元々いた別の生き物が震災後にはいなくなったので、ウバガイやキサゴなどがこの湾に入り込む余地ができたのではないかと思います。しかし、キサゴは2012年に出現しただけでまた見られなくなり、ウバガイにしても、また少しずつ数を減らしていることがわかってきました。
それはもしかしたら、一度いなくなった生き物がまた戻ってきたりして、新参者のキサゴやウバガイは、やっぱり棲みにくくなっちゃったっていうこと?
そうかもしれませんね。他の生き物との対応を見ていかないとなりませんが、2010年から始めて、船越湾は今も継続しているので、経年変化を見ていきます。
それから図5のモンブランみたいな糞隗、これは「タマシキゴカイ」というゴカイの糞です。海底の砂を飲み込んで砂の中のエサを食べ、砂自体は食べられないので糞として排出しますが、おしりを海底からピュッと出して、ブルブルブルっとこのモンブランを出すのですね。
【図5:糞塊が示す大型ゴカイの生息状況】 ……面白い! この山があれば、海底にゴカイがいるということがわかるのね。
そうですね、こういうゴカイのように、深く潜っている生き物の存在は実際に見ることが難しいのですが、こうした穴を見れば、その生物がそこにいる、ということがわかります。船越湾のゴカイは2011年には全くいなくなり、2012年からは戻ってきていました。2013年、2014年と、震災前に比べるとまだ少ないですが、少しずつ海底の穴が増えているのがわかります。
海底堆積物がリセットされ、基礎的な研究が可能に
「震災の影響がどうなっているか」という事にとり組んできて、船越湾は今もモニタリングを続けているということですが、2014年以降のこの数年はどんなことを調べているのですか?
研究内容が少し変わってきています。現在の海底はいったん何も生き物がいなくなった真っ白なところに生き物が入ってきたというか……、例えば、スキー場で何人もが滑った後だと、誰がどういうふうに動いたかなんて、雪の上にいろいろな痕跡がありすぎてわけがわからなくなっちゃいます。でも雪が積もったばかりなら、誰がどういうふうに足跡をつけたか、どんな生き物がどのように動いていたかまでわかる。つまり今は、津波でグワッと海底が攪拌されて堆積したばかりなので、まだ生き物の痕跡があまりついていない状態、1回リセットされたところなのですよ。
震災前だと昔からの生物の痕跡が蓄積されてわからなくなっていますが、今はちょうど、いったんいなくなった生き物が戻ってきたところですよね。砂の中で生き物が動くと這い痕ができます。それを調べることで、砂の中のベントスが、どこに、どんなふうに暮らしているか、そうしたことを調べる事ができるのです。
【写真:マルチプルコアラーによる採泥の様子】【図6:海底堆積物の生物撹拌作用】 図6は、女川湾の海底堆積物をCTスキャンした画像です。船の上から海底に筒状の採泥器を下ろして、堆積物をそのまま筒で採ってきます。これを調べると海底の中身がわかります。画像は採ってきた筒をレントゲンのように撮影したものですが、縞々がたくさんあるのがわかります。津波の時の流れでできた砂や泥の模様ですが、層になっているのがきれいに見えますね。それが2014年になるとボコッと黒い塊があるでしょう。これは生き物が作った巣穴で、穴があるところに生き物が糞か何かを詰めた様子です。つまり、津波が起こった後は生物の巣穴や這い痕を明瞭に観察することができます。
生きものがまだあまり介在していない状態ということ? 今、海底の中を調べれば、どの生き物が何をしているかという事が、前よりよくわかるというわけですね?
そうです。大きな生き物が増えてくると、深いところまで巣穴や這い痕などの構造を作り始めます。今現在の東北の海底には、前からあった構造がないので、観察しやすいわけです。ですから今は震災の影響だけでなく、もっと基本的な、海のベントスが何をしているのかを調べるのにかなり適した状況です。
水槽で飼育実験をすればいいと思うけど、できないのかしら?
そういう意見もあるでしょう。しかし、例えば水槽の中に砂を入れて実験しても、水槽で野外と同じ環境を再現するのはかなり難しいのです。また、ベントスの大きさは数センチ以上もあるので、それらの生態を室内実験で調べるためには、お風呂のような巨大な水槽が必要になってきます。一方で、今の東北の海では、何か特別な、大がかりな物を必要とせずにベントスの行動について研究できる。本当の自然な状態で、ベントスが海底からどれくらいの深さまで潜っているか、何をしているのかがわかるのです。
2014年の黒く見えている巣穴は泥でできています。この深さはもともと砂しかないところですが、生き物が海底表面の泥を下の方に押し込んで行っているということがわかります。ここ数年を見ると、生き物が戻ってきて海底をかき混ぜ始めているのがわかります。
なるほど! ところで調査には二つの方法が出てきましたよね。ひとつは
グランメーユなどの調査船から潜って、手で掘って、目視で確認するという方法。もう一つは…
柱状採泥器を使う方法ですね。柱状採泥器も、二通りあります。
新青丸などの大型船で行くような地点では、船の上から機械でおろしたりますが、自分で海の中に筒を持って潜って、コンコンと打ちこむ方法もあります。
例えば女川湾は入り組んだ湾なので、泥が溜まる、もともと海底の流れがないところですが、津波が来るといっきに砂が運ばれてきて溜ります。砂が溜まった後に、また泥が運ばれてくると、砂、泥、という互層ができる。海底堆積物を、パイプを使って柱状に採取したものを、コアと言います。コア試料の中には砂の層、つまり津波でできた層が含まれています。津波の層の数や間隔を調べることで、何年に一度、津波が来ていたかを知ることができます。
何年に一度の大地震とかいう情報は、コアの記録をもとにしていたのね。
ええ。地質記録をもとに、砂の層が何年前から何枚あるとかがわかれば、津波が何回あった、というふうに、それを防災などに役立てられるわけです。しかし一方で、津波後に再び戻ってきた生き物が津波でできた砂の層をかき混ぜて壊してしまう、ということもわかっています。つまり、昔の津波でできた層は、実はベントスによって混ぜられちゃって見えなくなっているかもしれません。生き物が混ぜて地質記録を消してしまう、ということも大事な観点です。
震災研究に特徴的なのは、何か起こった直後というのはいろんな人が研究することですね。できたてホヤホヤの津波の層を調べることは多いのですが、長い地球の歴史の中でそれがどういうふうに保存されていくのか、ということはまだよくわかっていません。どういう環境だとどれくらい混ぜられるのかといったことが、東北での研究を続けていれば調べられます。津波の影響は、震災後すぐにわかったことと、ズルズルと少しずつわかっていくことの両方がありました。震災から丸5年経ちましたが、そうした意味でも、今、東北の海を研究することはとても意味があると思います。
東北マリンのような息の長いプロジェクトだと、追跡調査ができるのね。
話は少し変わりますが、先ほど紹介したオカメブンブクというウニを調べるのがなぜ大事かをお話ししましょう。地上の畑でいうと、耕すことって大事ですよね。土をふかふかにすることで、作物の育ち方が変わるでしょう。海の中も一緒で、海底をかき混ぜると、その場の生態系も変わってしまうということがわかっています。何もいなければ固まってしまい、水も入って来ないので、地面の中に酸素もなくなっちゃうのですね。
大きなベントスが海底の中でワシャワシャ動いたりすると、泥の中がふかふかと耕されて海水が入ってきやすくなり、海底の上の水環境も変わります。例えばお米を研ぐと、水の中にぬかが出てきますよね。泥をかき混ぜると濁り分が水の中に出て行きますから、海底の少し上の水の状態も変えてしまう、つまり地面の中と、地面の上の環境も変えてしまうことになるわけです。この名前が面白いオカメブンブクというのはとても重要な、海の生態系を左右する生き物なのですね。
畑のミミズみたいに、オカメブンブクは「かき混ぜ屋」なのね。
ええ。海底の地面の硬さも機械で測りながら調査していますが、関係性を見ると、オカメブンブクがいっぱいいる所では、海底がやわらかくなっているのがわかります。どう動いたか、痕跡が海底の表面にも見えるくらいです。今までは、このかき混ぜ屋がどれくらいどんなふうに動いているか、というのがわからない状態でした。それが、津波が来たことで、泥の中が一度まっさらな状態になり、どれがどう動くかわかるようになりました。オカメブンブクの生態や暮らしぶりなど、理解を深めるにも良い状況で、このチャンスを逃す手はないということです。
新青丸ならではの調査で地質記録を探ると同時に、裾野を広げる
沿岸域の調査と、新青丸の調査、調査の内容が違いますよね?
東北関係の調査では、大槌湾・船越湾など沿岸の調査と、新青丸などで行う沖合の調査の大きく二つに分かれます。沿岸での調査では、現在は船越湾で年に4回ほど、筒型の採泥器と、UFOキャッチャーのような採泥器で泥をとることを現地で行っています。後者は、一定の面積の中に底生生物が何匹いるかわかります。同じ地点で10回、計120回も作業を行います。採泥器の作業は船舶職員さんにお願いしていますが、かなり大変な作業なので毎回申し訳なく思っています。しかし1つの地点で10回以上の採泥を行わないと、信頼性のあるデータがとれないのですね。
【写真:スミスマッキンタイヤによる採泥作業】【図7:津波堆積物の生物攪拌】 新青丸航海では、東北沿岸から沖合にかけての生態系をモニタリングするということが目的ですが、みんなと共同で行う調査の他、私がやりたいこともやらせてもらっています。自分としては湾内に力を入れていて、新青丸でないとできないマルチプルコアラ―やグラビティコアラ―という大型の機械を使って、女川、釜石、大槌湾での研究をしています。
私がやりたいこととは、2011年の津波の層が消えそうになっていることがわかってきたので(図7参照)、その前の津波の層がどうなっているのか調べてみることです。2011年より昔の、例えば明治時代などの三陸大津波の痕跡は、海底の地面表面から深いところにあるはずなので、より深い泥を採らなければなりません。それは大型の調査船で900㎏の重りをつけてズドンと落とすような採泥器でないと、できないことなのですね。このような観測は、人力ではとても無理で、新青丸のような大きな調査船が必要になってくるわけです。
なるほど。新青丸では他の班の方とも協力・連携したり、新青丸でしかできないような調査を行っているのですね。今後の展望を教えてください。
それぞれの研究グループの成果を合わせてみる事で、これからいろいろなことがわかってくると思います。今年度から、私は宮城県の鮫ノ浦湾などでも潜水調査を始めました。新青丸での調査と合わせると、船越、大槌、釜石、女川、鮫ノ浦湾、5つやっていることになります。震災の影響を調べていたのが、2010年に初めて大槌へ行ったときにやりたいと思ったことにつながってきました。つまり三陸沿岸の底生生物の暮らしぶり・特徴を調べるのにベストな環境になってきたといえます。今後は少しずつ研究の裾野を広げることも大事かなと思っています。
地球は未知にあふれている。長い生命の歴史を紐解きたい
清家助教はなぜ底生生物を研究しようと思ったのですか?
私は大学の学部・修士時代が愛媛大学で、その後東大の理学系研究科で大学院博士課程を卒業するまで、地球科学という分野にいました。大気海洋研では生物の研究室に入りましたが、今は生物学と地球科学の両方をやるのが面白いと思っています。ベントスの行動が「見えない」というのが面白くて、巣穴や這い跡を調べることが、その謎を解くというか、秘密を暴くような感じで面白いと思ったのですよね。フィールドに出るのが好きですし、単純に仕事として海に潜って、自分が知りたいと思ったことを調べるのが仕事になる、そんな愉快なことはないのではないかと。
「海の中はわかっていないことだらけ」ということ自体、多くの人があまり認識していないのではないかな。子どもの頃、例えば図鑑を見ていると、生き物のこともすでにいろんなことがわかっているような勘違いを起こしてしまったりするけど、わかっているのは人が行きやすい場所や、身近な場所だけなのですよね。身近な生き物でさえ、その暮らしぶりについてほとんどわかっていないのです。
「宇宙の研究」とかいうと、みんな「未知の世界」ととらえたりするけど、実は自分たちの足元の地球の中、海の中だって、人間が入れる範囲なんて限られているものね。
そう。例えばその辺のアリの巣だって、1~2mの深さがあるのも珍しくないのですよね。足元に全然違う世界が広がっているということ。海の中、水中も人が住む世界ではないし、わかっていないことだらけですが、海底というのはさらにそのまた一つ下ですから、二重に蓋をされているような感じで、それを調べることは面白いですよ。
今の生き物が作った巣穴や這い跡は地層に残ります。ということは、大昔の生き物が何かをやったかということも残っていて、そこには他ならない生々しい情報があります。しかし今の生き物をちゃんと調べないと、昔の生き物が残したサインもわからないですよね。今の生き物が何をやっているかを調べることで、昔の生き物のサインもわかる、それをどんどん読み取ることで、こういう時代にはこういう生き方が出てきたとか、「長い生命の歴史の中で、何が起きてきたか」がより詳しくわかると思います。
ええ。生痕解析という手法を開発して、海底下の生物の行動を明らかにしたり、深海の大型底生生物の巣穴を観察したこと、2011年の大津波が三陸沿岸の海底生態系に及ぼした影響を調べるなど、今までしてきた研究に対して賞を頂きました。地球生命史における海洋生態系の理解につながるということで評価して頂き、光栄ですし、大気海洋研の恵まれた研究環境にも感謝しています。
私のアピールポイントは野外調査です。フィールドに行って何かやるというのがとても面白く、それを得意としたいと思っています。調査では冒険家や探検家のようなことはしないですが、自分にしかできない野外調査、自分にしかできない研究をやっていきたいと思っています。
インタビューを終えて
昨年ご結婚、お子さんも誕生した清家助教。お風呂に入れる役目を担っているので、子どもの生活時間がおかしくならないよう、18時頃になると慌てて帰るようになったといいます。家族の団らんもかねて、休日は植物園へ出かけたりするそうです。「隣の芝生が青い」というように、違う分野が輝いて見えることがあるそうで、自分がやっている研究と全く違うので新鮮とのこと。「植物園は散歩するにもいいし、リフレッシュできますよ。」
大気海洋研では、昼休みに学生からベテラン教員までがたくさん集まってサッカーをしています。清家助教も野外調査を続けるための体力づくりもかねて、時々サッカーにも参加。サッカーをしたいがために、休み時間以外は集中して仕事をしているサッカー部員たちは憧れとか。「オンオフの切り替えがしっかりできる人はカッコイイですね。自分もそうした切り替えができるようになりたいといつも思っています」。
そんな
清家助教の個人ホームページには、厳しい山に登頂する写真があります。「最近は登っていないですよ」と言いつつ、海の底に潜りながら高い頂に挑戦している、期待の若手研究者です。
写真:カラタパール山頂(5545m)2005.3 ネパールにて取材日: 2016 年 7 月 19 日 (構成 / イラスト: 渡部寿賀子)